生活音

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飛び出しぼうや(とある姉妹の話1)

 

1週間の出張が終わり、美大に通う妹とシェアしている古い平屋の家に帰った私を驚かせたのは和室の襖の隙間から半身を乗り出した飛出し坊やだった。
電灯を灯し、代わり映えせず散らかっている居間を見渡して溜息をついていた私は、視線を感じて居間の左手にある和室の「彼」と目が合って短い悲鳴を上げた。
随分と古めかしい飛出し坊やが自分で動いてここに来たホラー映画の様な光景を思い浮かべ、気持ちが悪かったのだけれど、待てども待てども動かないので近寄ってみた。
この古さと傷み具合は現役でどこかの通学路に置かれていた物だと思った。
何故、我が家に。
思い至るはずも無い答えを考え続けているうちに妹が「ただいまー」と帰ってきた。
飛出し坊やと対峙していた私が視線を向けると、妹はばつが悪そうに「持って来ちゃった」と言った。
「どこから?何故?」
「実家の傍から持って来ました、元彼氏の作品だからであります」
ここから1時間以上電車で離れた土地から高さ1mはあろうかという飛出し坊やを持って来たらしい。
彼氏の頭に元が冠されているのに気付いて私は尋ねた。
「いつの間に別れたの?」
「お姉ちゃんが出張に行ってる間に三又が発覚して別れた。私、一番古株だったのに3番手だったの」
妹の目が次第に潤んで行くのが解った。昨日も今朝も泣いていたのか目が腫れている。
妹は地元に彼氏がいて、それこそ中学生の頃からずっと付き合って大学生になってからも関係が続いていたはずだった。
いつも恋人と長続きしない私を慰めてばかりだった妹が、初めて慰められる側に回っているというのに、何と言って良いか私には解らなかった。
「これはね、高校生の頃にボランティアで一緒に塗り直した飛出し坊やなんだ。別れ話をされた後、駅まで歩いてて目がついて、あの頃楽しかったなと思ったら」
それで持って帰って来たらしかった。
泣きながら抱えて駅まで歩き、電車を乗り換え、ここまで自転車の荷台に乗せて持って来た妹を思うと、笑ってしまいそうになる一方、余程辛かったのだろうと胸が詰まる。
美大に通う彼女ならではの思い出の品なのだろうと思うと、怒る気にはなれなかった。
だが、公共のものを勝手に持ち帰るのは決して正しい行いでは無い。
私は妹に言った。
「でもね、これは公共のものだから返してこなきゃ」
「うん、解ってる。返しに行くつもり。本当はお姉ちゃんが帰ってくるまでに持っていこうと思ったんだけど、まだ完成してないから」
「完成?」
健気に微笑む妹の最後の言葉に違和感を抱いて思わずオウム返しになる私に、妹は頷いた。
「ずっと騙していた復讐をしてやろうと思って。あいつ、飛出し坊やを塗り替えた事があるって今の彼女に自慢してたの。だから」
妹は飛出し坊やの元へ行き、こちらを向いていたのと反対側の面を向かせた。
そこには非常にリアルな元彼氏の顔と、「とびだし注意」の文字の上に「恋の」と言う文字が描かれてあった。
「これは」
「両面描いたら、この三又坊やを元の場所に戻しに行くんだ。ずっと嘘つかれてたんだし、これくらい許されるかなって」
真剣な表情の妹とコミカルなフォルムにリアルな顔の三又太郎がおかしくて私は脱力してその場に座り込んでしまった。
「バカ過ぎる」
呟いて顔をあげると、妹の目が真剣そのものなので自然とため息が漏れる。
「会社から車借りてきてあげるから完成したら言いなさい。そんなもの持って歩いてたら職質されるわ」
それを聞いて妹の表情がパッと明るくなる。
今まで助けて貰ってばかりだった失恋からの脱出を手伝えることが嬉しかった。
こんな奇怪な復讐劇の片棒を担ぐ事になるとは思いもしなかったけれど。
この可哀想な飛出し坊や改め三又坊やが後にネット上で話題になり、元彼氏が本命と破局する事になるなんて私も妹もこの時は考えもしなかった。