生活音

文章を載せています。

食品サンプル(とある姉妹の話2)

 

23時で利用時間を過ぎたはずのコンビニのイートインコーナーから途切れ途切れに宇多田ヒカルの「誰かの願いが叶うころ」がもう1時間は聞こえ続けていた。
「僕が声を掛けてきましょうか?」
品出しを終えてレジに戻ってきた新人研修を先週終えたばかりの太田くんが遠慮がちに尋ねてくれる。
私は時計を見やって、退勤時間まで待つつもりだったのだけれど、あと5分を太田くんに強いるのも申し訳なく、溜息をついて答えた。
「私が行く。気を遣わせてごめんね」
利用時間終了の案内札の向こう、蛍光灯が消された一角に立ち入り、歌声に向かって私は吐き捨てる様に言った。
「下手くそ」
怪奇現象でも何でもなく、声の主は下された評価に傷付いたのか歌うのをやめ、非難の声をあげる。
「酷い・・・」
「妹のバイト先に来て1時間近く宇多田ヒカル歌える姉の方が余程酷いと思うけど?」
「正論か・・・」
姉は椅子にかけてあったスーツの上着を頭から被って机に突っ伏した。
まるでパトカーで連行される容疑者の様だった。
「不倫した挙句にフラれたとか堕ちる所まで堕ちたね、情けない姉だこと」
歌詞の内容からしてそんな所だろうと推測して言う私に姉は連行スタイルのスーツの中からか細い声で言い分を述べた。
「宇多田をそんな風に言わないで・・・私は失恋を餌に失恋を呼んでしまっただけだもん・・・」
「要するに失恋の傷を癒すつもりで不倫したら本気になっちゃって相手は遊びだったから更に失恋したって事?」
返事が無いので大筋で正解の様だった。
ふとテーブルに姉のスマホと海老フライの食品サンプルキーホルダーが置かれているのが視界に入った。
姉にそんなものを収集する趣味があったとは知らなかった私は、何気なくキーホルダーを手に取った。
「こんなの趣味だっけ?」
おずおずとスーツの隙間から顔を出した姉がボソボソと答える。
「プレゼントに貰ったの・・・」
いくら当たり前の引き算によって引かれただけとは言え、やはり失恋は辛いものには変わりなく、優しくされた思い出に浸りたい気持ちも解るものの、よりによって食品サンプルのキーホルダーがプレゼントというのが何とも間抜けであり、偽物だと皮肉られている様にも思えてしまい私は姉になんと言葉を掛けて良いのか迷った。
「まー、お姉ちゃん史上最悪の失恋が訴訟とかにならなくて妹的には一安心だよ」
私の声に返事をしたのは姉でなく、テーブルに置かれた姉のスマホだった。
通話の着信によるバイブ振動に引き寄せられた姉の視線が画面に表示された名前を捉えたまま固まる。
どうやら着信相手がフラれた相手らしい。
そろそろとスマホに手を伸ばす姉から隠しきれない根拠のない期待を感じ、苛ついた私はスマホを取り上げ、通話ボタンを押してまくし立てた。
「既婚者の癖に未婚の女引っ掛けて調子乗って優しいフリしてんじゃねーぞ!次連絡してきたら全部ぶちまけて法廷まで追い詰めて離婚させてやるからな!」
言うだけ言って通話を切り、スマホをテーブルに置いたのち、サンプルキーホルダーをゴミ箱にオーバースローで投げ入れた。
体育の成績が万年2だったのに驚く程に鋭い軌道を描いて海老フライのサンプルはゴミ箱に吸い込まれていった。
「本物そっくりだったのに」
「偽物の彼氏に偽物プレゼントされてんじゃねえよ!」
ポカンとした表情の姉を他所に私は続ける。
「もう帰るから待ってて」
イートインスペースを後にし、事務所で手早く帰り支度を整えた私は、レジに缶ビール二本を持っていき、太田くんに会計をして貰った。
「お姉さんだったんですか?」
「失恋したてだけど、どう?太田くんの7つ上の事故物件」
「か、考えておきます」
思い付きで勧めた私に、引きつった笑顔で返す太田くんを見て笑い方がどことなく姉に似ている彼は案外お似合いなんじゃないかと思ったけれど、無理強いしても仕方ないので挨拶をして姉の元へ向かう。
姉は店の前で俯きながら立ち、また「誰かの願いが叶うころ」を歌っていた。
「下手くそ」
「色々下手な姉でごめんね」
差し出したビールを受取りながら姉は微笑んだ。
「写真撮ろうかな」
「は?」
突然姉が言うので私は変な声を出してしまった。
「この最底辺の私を記録しておこうと思って」
泣き腫らした目でニヤリと笑いながら、彼女はフラフラとコンビニに併設されていた証明写真の撮影機の中に入っていく。
閉じられたカーテンの向こうで椅子が冷たいだの前髪が酷いだの騒ぐ姉が撮影を終えるのを待ちながら私は耳に染み付いてしまった姉の宇多田ヒカルを洗い流す為に自分で歌ってみた。
「下手くそ!」
仕返しがしたかったのか勢いカーテンを開け私に言い放つ姉の横顔を撮影のフラッシュが照らした。
「写真も下手くそな人に言われてもね」
悔しそうに何か言おうとしていた姉は音声ガイダンスによる予備の撮影のアナウンス慌てて備えるべくカーテンを閉めた。
私は駐車場に立つコンビニの看板を眺めながら思い付きで提案した。
「ねえ、カラオケでどっちが上手いか勝負しようよ」
「のぞむところよ!」
姉は私の見たてよりも酔っているのかまたしても勢い良くカーテンを開け、横顔にフラッシュを浴びた。
「バカ」